博士進学を迷い続けた上で進学を決めた理由【就職・経済面・研究環境】

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研究

こんにちは、みのん(@min0nmin0n)です。

来年から博士21年卒として大手のメーカー研究職で働くことになりました。

さて、今回は今まで触れてこなかった「なぜ博士課程進学を決めたのか」について書いていきます。

実はこれまでご質問を色々な方から受けていたにも関わらず、きちんと書いたことがありませんでした。

博士課程に進学するかどうか迷うような人は博士課程に進学しないほうが良い

こんなお話をよく耳にします。これが正しいとすると、僕は真逆のタイプという事になります。実際、僕の周囲の博士に進学した学生の話(Twitterも含めると十数人程度)を聞いている限りでは、ダントツで迷いに迷った結果、進学しています。

「なぜ博士課程に進学したのに企業なのか」という質問を頂くようになったので久しぶりに記事を書いてる。「なぜ博士課程に進学したのか」も別記事で書き始めたけど、僕は博士進学迷いまくったので、よく言われる「博士進学を迷うような人は博士に行かない」の完全に反例だし、果たして需要あるか・・・

こんな少数派(?)の僕の話に需要があるのか疑問だったのでTwitterで呟いたところ、想像より遥かに多くの方から

「気になる!」

というコメントを頂いたので、書く価値はありそうです。

就職活動も終え、気持ち的にも落ち着いてきたので、腰を据えて書いてみようと思います。

できるだけ、可能な限り全て書き出し、時系列順になるように気持ちの変化を書いたつもりです。

かなり多くの要因が複雑に絡み合っているので、要点をまとめたり、きちんと整理して書けないかもしれませんが、ご容赦ください。

この記事では博士前期課程を「修士課程」(いわゆる大学院生、修士学生)、博士後期課程を博士課程(いわゆる博士学生、ドクターコース)と表記します。

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食と健康に興味を持ち始めた中学・高校時代

いきなりもったいぶるようですが、少し昔の話をさせてください。

僕は両親にずいぶん丈夫な体に産んで貰いました。

更に、食べるものに凄く気を遣って健康を大事にする家庭でした。

そのおかげか、僕は中学生以降、一度も体調不良で学校を休んだことがありません。

小学校でも、入学して最初の2ヶ月目くらいでインフルエンザに掛かって一度休んだくらいです。

家には本も多く、その中には栄養学の本もたくさんありました。

今振り返ると、科学的検証が成されていない怪しい本もたくさんありましたが、僕が興味を持つには十分でした。

本で学んだ知識を自分の食生活に導入して体調が良くなったと感じたり、5歳からずっと続けているサッカーでパフォーマンスが良くなったりすることを実感する中で、自然と食事と健康に関する勉強をもっとしたいと思うようになりました。

昔からこうした夢を持っていたことを友人に話すと凄く驚かれます。

そんな中、高校のセミナーで偶然お会いした医学部の先生にそのお話をしたところ、

「○○大学の研究室(僕が今所属する研究室です)で君がやりたい勉強が出来るかもしれない」

と教えてくれました。僕は素直にそのアドバイスを信じてその大学入学に向けて勉強しました。

高校時代はサッカーばかりで勉強面が疎かになってしまい、巻き返しに凄く苦労しましたが、何とか志望大学に入学する事が出来ました。

大学入学時は修士課程の存在すら知らなかった

こうした無事、希望していた大学に入学した訳ですが、初めは驚きの連続でした。

多くの方には信じられないかもしれませんが(今思うと僕も信じられません)、大学入学時、僕は博士課程はおろか、修士課程の存在すら知りませんでした。

大学でもサッカーは続けたかったのでサッカーサークルに入ったのですが、自己紹介で繰り出される「マスター」「ドクター」という訳の分からない言葉に最初は戸惑い、中々先輩たちの学年を覚えられなかった事をよく覚えています。

実家はインターネット環境がないくらいのド田舎で、兄弟や周りの親戚に大学院生という存在が居なかったことが大きかったと思います。

とにかく大学に来たばかりの頃はあまりにも世間知らずで恥をかくことが多かったです。

友人は僕の知らないたくさんの事を知っていて、彼らの常識は僕にとっての非常識でした

苦労もあった一方でこうした経験から「その人が育ってきた環境で常識は大きく変わる」といった気づきも得られました。

勉強に明け暮れた大学生活

世間知らずの僕でしたが、危機感から勉強はずっと続けていました。

友人はみんな優秀でした。

一方で受験勉強を終えて、勉強を止めてしまう人が多い事に驚きもしましたが、僕は入試の数ヶ月前までE判定、大学入学は滑り込みセーフでなんとか入るくらいの学力だったため、危機感から勉強を止める、という考えは全くありませんでした。

もしかすると、受験時以上に毎日勉強をしていたかもしれません。

平日は毎朝5時半に起床し、英語の勉強や課題をこなしたり、授業の時間以外は図書館に行って毎日勉強していました。

特に英語は授業など関係なく毎日勉強していたお陰か、留学生とも問題なくコミュニケーションを取れるレベルには上達しました。

こんな感じで最初の2年間は、サークルと勉強以外は週末に友人と遊びに出かけるくらいで、勉強漬けの毎日でした。

それでもあまり「苦しい」という感覚は無く、勉強に没頭していました。

とにかく研究が楽しかった学部時代

そして、大学3年生の夏についに志望していた研究室に無事入ることが出来ました。

すぐに研究の楽しさに気づき、研究が楽しくて仕方なくなりました。


大学受験の時は「これ以上勉強する事はないな」と思ってたけど、大学で研究室に入ってから「勉強で覚えた知識を使って何かに取り組む」事の楽しさを覚えて結局9時-19時研究、帰って2時間勉強、みたいな生活。楽しさが段違いで勉強量も増えた気がする。勉強は一生ネタの尽きない最高の趣味かもしれない

同時に、周囲との研究に対する姿勢の違いを感じ始めました。

僕は基本的に研究は「楽しいから没頭してしまう」というモノで、それが普通だと思っていました。

ですが、友人の話を聞いている限りでは、どうやらそれは普通ではありませんでした。周りの友人や先輩の多くは「やるべきだからやる」「先生に指示されたからやる」といったある種の強い「義務感」で研究をやっている方が多かったです。

情熱よりも論理で動いている方が多かった訳です。

僕の経験上、この「情熱型」はとても少ないです。だからこそ、寂しさを感じる時もありました。

ちなみに、流石にこの頃になると修士課程、博士課程の存在は明確にわかっていましたが、この時点では博士課程に進学するなど全く考えていませんでした

なんとなく、先輩達と同じように修士課程までは進んで、その後就職するんだろうな、と思っていました。

ポスドクの先輩からの博士課程進学のお誘い

博士課程進学が頭によぎるようになったきっかけは、ポスドクの先輩からのお誘いですた。

修士に入るくらいの頃から、仲良くなった研究室のポスドクの先輩に「ドクターに進学しないの?」と聞かれるようになりました。

元々修士課程する知らなかった僕ですから、博士課程なんて更に訳の分からない物なんて行くわけないだろうと思って「行くわけないじゃないですか」と答えて先輩をがっかりさせていました。(すみませんでした・・・)

修士課程すら知らなかった僕ですが、研究を続ける中で何となく頭の中には博士課程への進学=リスクが高い、というイメージがありました。

そうした理由から企業に就職しなければ・・・・・と思っていた僕は「行くわけない」と答えていたものの、若干心が揺れ始めていたと思います。

やはり研究は楽しく、進学して研究をもう少し続けたい、という気持ちはありました。

明確に違和感を感じ始めた修士課程での就活

明確に違和感を感じ始めたのは修士課程に入り、就活を始めた頃でした。

先輩が就活を終えるくらいのタイミングで、僕らの代の就活が始まる気配が見えてきました。

学内で行われる就活セミナーが僕らの学年を対象にし始めたり、同期がインターンシップの話を始めるようになりました。

就活なんてもっと遠い先の話だと思っていた僕は戸惑いながらも、焦りを感じ始め、友人と一緒にインターンシップに申し込んだりしてみました。

ところが、全然気持ちが乗りません。

でも、それは僕だけでした。

僕はまだ研究を続けたいけど「就職しなければ」という義務感で就活を始めた一方で、友人の多くは「就職したいから」という強い意志を持っていました。

研究に対しては「情熱」で動いていた僕が、就活になったとたん「論理」で動くようになっていました。

とても優秀な同期の友人も、正直研究は続けられない、続けられる自信がないと話し、企業就職まっしぐらでした。

彼にとって研究は「苦しいもの」で、「論理」で何とかする対象だったようです。

僕は研究は「楽しいもの」だと思っていたので、こうした違いに驚きも感じました。

こうして研究を続けたいとという気持ちの反面、僕は義務感から「論理的」に考え、就活を続けました。

「博士課程のリスクを考えたら論理的には就活はすべきだ」

こうして、情熱で研究していた僕が論理で就活を始めましたが、理屈と感情がちぐはぐだったせいか、ただただ辛く、苦しかったです。

やればやるほど、全く気持ちが乗らず、友人が何の迷いも無く就活をしている中、悩みを抱えたまま没頭出来ない自分とのギャップを感じ、ずっとモヤモヤしていました。

今思うと、この時期が一番辛かったかもしれません。

こうした時期が続いたことで徐々に

「いっそ思い切って博士課程に進んでしまおう」

「大好きな研究を続けよう」

と思う気持ちが強くなってきました。

一方で、行動もせず、企業のことも知らないまま決断するのは嫌だったため、本選考が始まる前(年末)までは就活をして企業の事も知った上で決断しようと考えました。

今思うと、

「就活したけど企業はやっぱり合わなかった」

という「博士課程に進学する理由」を作るために就活をしていた気がします。

研究に留まらない「教育」の楽しさ【大学の先生になりたい】

今までは就活が嫌だから博士課程に進学する、という若干ネガティブなお話でしたが、ポジティブなお話もしましょう。

実は研究自体もそうですが、僕は「教育」をやりたいと考えていました。

大学で後輩を指導して、その後輩が成果を出して、成長していく姿、研究を楽しくやっている姿を見るのがこの上なく嬉しかったんですね。

僕がTwitterで教育論的な内容をよく呟ぶのはこのためです。

「5分調べて分からなかったらすぐに聞きにおいで」は、気軽に質問出来る「心理的安全性」を確保しつつも「調べる癖」を付けて貰える魔法の言葉。大概は調べれば解決する事に気づいて貰える上、分からずとも予備知識が入った状態で聞きにくるので理解が格段に速く、お互い幸せになれるのでオススメです

特に自分が指導していた後輩が少しでも研究に楽しさを見出したり、何かしらの成果を挙げている姿、成長していく姿に喜びを感じます。

就活で企業に就職するために自己分析をした事で、こうした「自分が喜びを感じる部分」にも気づくことが出来ました。

企業に就職しなければと思って始めた就活が、皮肉にも

「大学で先生になって教育をしていくのも面白いかもしれない」

という気づきを生み、よりポジティブな気持ちで博士課程進学を考えるようになりました。

企業で働く先輩への相談

とはいえ、やはりまだ迷いが払拭できていなかった僕は、僕と同じように博士課程進学を迷った方を探して、相談することにしました。

幸い、先輩や友人経由で何人かお話する事が出来ました。

意外と博士進学を迷って企業に入る方は多いそうです。

同時に、そういった方々の多くが「やっぱり博士号を取りに戻りたい」と考えていました。

「博士課程進学と迷いつつ、企業就職したが、やっぱり博士号を取りたい」

こう仰る先輩方が多いということです。

その理由は、製薬企業で働いていて博士号が重要になってきた、やっぱりアカデミアを目指したい、単純にもう一度研究がしたい、など、様々でした。

しかも、今は企業がお金を出して博士課程に行かせてくれる例は非常に珍しく、あったとしても相当ポジションが上がらないと難しい、というお話でした。

そうした現状の中、お一人の方は、なんと働きながら土日や祝日を使って自費で大学の研究室に通い、ついに博士号を獲得されています。

もう一人の方は、論文を書いて博士号獲得(いわゆる論文博士)を目指しているところだそうです。

企業からお金が出なくてもこうした方法があるのは確かですが、業務とは別にさらに研究をする訳ですから、並大抵の努力で出来るものではありません。特に前者の方は超人レベルです。

僕にはそこまでする能力も自信もありませんでした。

何より「今、研究を続けたい」という純粋な欲求が強くなっていました。

こうした現状から、企業に行った後に「やっぱり博士号が欲しい」となるよりも、今気持ちが強いうちにストレートで博士課程に進学してしまおう、という気持ちが定まってきたわけです。

教授への相談

それでも、優柔不断だった僕は12月になる頃に教授に直接相談することにしました。

相談した内容はこんな感じの内容でした。

  • 正直に博士課程への進学を迷っている事、迷っている理由
  • 博士課程での3年間の研究計画の見通し、その見通しで業績として卒業が十分に出来るか
  • 博士号獲得後の就職についての懸念点
  • 経済的な問題
  • 自分はやっていけると思うか

正直に博士課程への進学を迷っている事、迷っている理由、博士課程での3年間の研究計画の見通し、その見通しで業績として卒業が十分に出来るか、博士号獲得後の就職についての懸念点、自分はやっていけると思うか、など唐突に超長文のメールを送りつけたにも関わらず丁寧に対応して頂きました。

今、そのメールを見返すと「当時の自分は相当悩んでいたんだなあ」と感慨深くなります。

ここで様々な疑問点に答えて頂き、今思うと気休め程度のものでしたが、当時の僕を後押しするには十分でした。

博士課程進学を決意した日

今でも日にちを覚えています。修士1年生、2016年12月27日の事でした。

この時点ではっきりと博士課程に進学する意思を固めました。

この時点でインターンシップなどを含め、就活も完全に辞めました。

あれだけ悩んでいたモヤモヤが嘘のように晴れ、気持ちが凄くすっきりした覚えがあります。

論理で考える事を止め、自分の情熱に従った結果でした。

以下のように情熱と論理で分けるとポジティブなものもネガティブなものと理由は様々ですが、結局のところ論理はとってつけたようなものです。

情熱に勝る理由はありませんでした。

情熱

  • 研究を続けたい
  • 将来的に教育がしたい

論理

  • 博士課程後の就職のリスクが高い
  • 経済的な問題が生じる可能性がある
  • 今後、グローバル化が進み博士号が重要になる可能性がある
  • アカデミアに進むなら博士号は必須
  • 環境的に自由が利き、自分がやりたいことを思い切りやれる

両親の心配

さて、気持ちの整理はついたものの、両親には全く相談していませんでした。

冒頭でお話したように地元の周囲にはほとんど大学院生という存在すら居なかったため、相談しても仕方ないと思ったからです。

しかし、ただでさえ地元を離れて大学に行き、心配を掛けている手前、相談しないわけにはいきません。

今まで両親は僕から「やりたい」と言ったことに関しては「だめだ」と言ったことはありませんでした。

「好きなようにやりなさい」といつも僕の背中を押してくれました

大学の事がよく分からないなりに、博士課程の就職に関するニュースや新聞記事は目にしていたようで、相談した当初はもの凄く心配されました。

当然ですよね。僕が親でも心配します。

ですが、最終的には

「お前が決めたことなら頑張りなさい」

といつもと同じように背中を押してくれました。

これ以上親に迷惑を掛けるわけにはいかないと思って、奨学金や学振DC1(後述します)などを利用して親の支援は受けないつもりでしたが「お金に困ったら助けてやる」と言ってくれました。

結果的には学振DC1を頂く事が出来たので、支援してもらう必要はなかったわけですが、この一言でどれだけ救われたか分かりません。

将来家庭が出来たら、自分の子供にも同じようにしてあげようと強く思いました。

こうして常に周りの助けのお陰で生きてこれたという認識があるからこそ、自分が培ってきた能力を通して教育に活かしたい、という気持ちがあるのかもしれません。

博士課程進学におけるリスク要因

こうして、紆余曲折あったものの、気持ちの面では完全に整理を付けることが出来ました。

この段階で、何となく抱いていた「博士課程進学=リスクが高い」というぼんやりとしたイメージを「博士課程に進む」という情熱のもと、合理的に考えることにしました。

そのうちいくつかは、自分次第である程度対処可能なものと考えました。

そこで、無策で博士課程に進むよりも、進むと決めたなら徹底的に準備しようと行動を開始したわけです。

当時、考えたものは主に以下の3つです。

  1. 経済的な問題
  2. 就職問題
  3. 研究室の環境

経済的な問題【学振DC1申請】

個人的に一番大事だと思っている部分です。

難易度はともかく、一番わかりやすい方法は日本学術振興会特別研究員DC1を獲得することです。

採択率20%程度と決して高くはないですが、獲得できれば月20万円×3年間の返済不要の奨学金を得ることが出来ます。

博士課程進学を決意してすぐに学振DC1獲得に向けた準備を始めました。

学振DC1の取り組みに関しては以下の記事に詳細をまとめてあるので、気になる方はご覧になってください。

ちなみに、学振DC1採択には業績として原著論文が非常に重要と言われています。

もちろん無くても通る場合はありますが、論文があるかないかで採択の難易度は大きく変わります。

この点に関しては当時、僕は修士に入るくらいから共同研究で行っていた研究成果を論文にまとめており、順調に行けば余裕を持って申請前に採択されるのでは、という見通しがありました。

この論文の見通しがあったからこそ、学振DC1採択にある程度自信がありました。

ところが、実は僕の論文を投稿するには、共同研究研究で行っている大本のテーマの論文(Xとしましょう)が採択されないといけない、という条件がありました。

その条件を伝えられていたのは学部4年生の頃で、すでにその論文Xが完成して投稿作業に入ってから1年近く経過していため、僕は楽観視していました。

ところが、更に半年経過してもその論文は採択される気配は全くありませんでした。

申請書を書き始めても全く採択される気配はなく、僕は「論文実績は期待できない」と思うようになりました。

今振り返ると偉かったな、と思うのですが「ないものに期待しても仕方ない」と「とにかく申請書の質を徹底的に高める」と気持ちを切り替えることが出来たのは大きかったです。

切り替えを早くに行えたことが功を奏したのか、結果的に、面接経由だったものの無事学振DC1を獲得する事が出来ました。

ちなみに、論文Xは結局申請時期までに採択されず、当然僕の論文は投稿すら出来ていませんでした。論文をあてにして申請書作りを疎かにしていたら、と思うとぞっとします。

結果論ですが、学振DC1(月20万円×3年間、返済不要)を獲得したことで金銭面的な余裕が生まれ、それが如何に心理的な余裕を生むかを実感しました。

特に博士課程では同期が激減して話相手も減るでしょうし、研究成果が上手く出ない時は、心理的に不安定になりやすい環境です。

そうした時にやはり「金銭面で死にはしない」という安心感があるのはとてつもなく大きいです。

ただ、学振DC1は採択率20%程度と決して高くはないため、学振DC1を取れる前提で行動するのはあまりオススメしません。

セーフティネットとして、別の返済不要の奨学金にも応募する、可能であれば両親から支援を受ける、などで少なくとも博士課程の3年間だけでも金銭面の不安は解消した方がいいです。

これらの金銭面の確保は博士課程進学における「最低限のリスク管理」だと思った方がいいです。

それくらい、金銭面の余裕は大切です。

追記 2020年5月9日【給付型奨学金や給与の出る大学について】

世の中には学振だけでなく、色々な金銭の獲得手段があります。こうした事実は知らないと何も行動出来ないので、知っているかどうかが重要になります。

僕らの研究スタイルさん(@kenkyustyle)が書かれた下記記事が非常によくまとまっています。許可を頂いて引用させて頂いたので参考にしてください。

本文にも注意書きがありますが、こうした制度はルールが変わったりするのでご自身でもきちんと調べて確認しましょう。

博士課程や大学院で使える給付型奨学金や給料の出る機関と倍率
博士課程や修士課程の大学院に在籍しながら給料がもらえるようなプログラムと給付型奨学金をまとめてみました。

博士号獲得後の就職問題

博士課程進学で一番話題に上がるのは就職問題でしょうか。

ちなみに僕は結果的に企業就職を選びました。

分野等にもよると思いますが、博士の必要性の低い食品メーカーで就活して感じたのは「そんなに甘くないが、きっちり準備すればちゃんと就職できる」といった印象です。

「きっちり準備すれば」が凄く重要です。

何も考えずに進学して、楽観視して就活に望んだ場合は、かなり厳しい現実が待っていると思って進学した方がいいです。これは修士でも同じ事が言えますね。ただ、博士の場合はその準備の仕方が若干違う、という印象です。

ちなみに、企業就職に関して「博士号を持っているから有利」と感じる場面はあまりないです。

博士号を持つ学生の採用に積極的な会社も多いですが、大手の製薬企業などごく一部ですし、そもそも実力を伴っている前提です。

別分野、例えば僕が就活していた食品メーカーでは少なくとも「博士号があるからその専門知識を活かして活躍できる」という場面は少ないと思います。

ですが、就活をしてみて感じたのは、博士号そのものや専門知識はアピールに直結しづらいものの、博士課程で培った論理的思考能力、プレゼン能力、ライティング能力、新しい関連性を見つける力、ゴールを見据えてプロジェクトを進行する力、指導能力などの普遍的な能力はかなり通用する事です。

この辺は実際に就活したり、企業の方と接してみないとわからない部分です。

博士課程に進学する方で、企業就職を考えている方がいるとしたら、定期的に、研究の邪魔にならない程度に企業の方と接する機会を設けるように意識したほうがいいです。

今はTwitter等で比較的気軽に繋がれる社会ですし、相手の邪魔にならないように気を付けながらオンラインでもお話する機会が作れると良いかもしれませんね。

ちなみに、アカデミアに関してはあまり語れることはありません。

ただ、業績はあるに超したことはなく、運要素もかなりある、という認識があるくらいです。

この辺のお話は次回の就活記事でお話します。

追記 2020年12月 就活記事を追加しました

研究室の環境【研究に集中出来る環境作り】

実は博士進学を躊躇していた理由の1つに「頼られすぎることで時間がなくなる」という点がありました。

自分が出来る事が増え、頼られるのは嬉しい事でしたが、結果的に疲労し、周りに迷惑を掛けていては元の子もありません。

博士課程に進むような学生は周りから頼られることが多く、同じ悩みを持っている方が多いのではないでしょうか。

僕はずっとその悩みを抱えていたので、博士課程で研究に集中するために色々な対策を講じました。

例えば、まずは自分が持つあらゆる技術や知識は全てマニュアルに落とし込みました。

特に複雑なマニュアルに関しては動画を作成したり、画像付きで作り、初見でもわかるようにかなり工夫をしました。

指導体制も先生に提案し、誰が誰に教えるかを明確に定め、後輩達で基本的に処理できるようにした上で、それでも対処が難しければ自分に聞いて貰うような体制作りを行いました。

僕が一人で全部やってしまうのはカンタンですが、自分の負担は増える一方ですし、何より後輩たちの成長になりません。

こうして、博士課程に進学して自分が研究に集中できる仕組み作りをしておきました。

周りの博士課程の友人の話を聞いていると、こうした後輩の指導など、雑用を含めた研究に直接関係しない仕事で時間が奪われて研究どころでない、というお話をたくさん聞くので、こうした仕組み作りは凄く大切だったなと痛感しています。

研究室を変えるか

ちなみに、研究室を変えるか、という問題もあります。

僕の場合はずっと同じ研究室だったので、あまり実体験に基づいたアドバイスは出来ません。

ただ、僕はリスクとのバランスをとって同じ研究室に残ることを選択しました。

新たな環境に挑戦するのは、経験としてとても重要ですが、そこで上手く成果が出ず、その後就職できない、そもそも博士号を取れない、といった問題が起きては元の子もない、という考えです。

研究室を移動するなら、可能なら修士からの方がいいでしょう。

博士課程から移行するパターンは、リスクをとってでも移ってやりたい研究がある場合を除いて、個人的にはオススメしていません。

論理は情熱に勝てない【僕が博士課程に進学した理由】

さて、あーだこーだ博士課程に進学したい理由や進学する際のリスクを挙げてきましたが、結局のところ、僕が決断した理由は以下の一文に集約されます。

論理は情熱には勝てない

論理的には正しくても、感情と一致していなければ、上手くいかないんですよね。

僕は研究を続けたいという情熱があったにも関わらず、リスクを恐れ、理屈を色々とこねてなんとかその情熱を忘れようとしました。結局、それは無理な話だったわけです。

もし、僕と同じような葛藤を抱えている方がいるとしたら、この本をぜひ読んで欲しいです。

人生の決断に迷った時は【東大卒プロゲーマー】を読んで欲しい。博士進学を迷っていた僕の背中を押してくれた、僕の人生を変えた本

「合理性は、情熱があってこそ生きるもの。情熱なしにそれらを振り回したところで、何も生み出すことは出来ないのだ」

ゲームから得られる人生の哲学が詰まっています

「論理は結局、情熱にかなわない」

この金言に至るまでのときどさんの人生を辿る作品です。

論理的に成功を追い求めていたときどさんが、最終的に勝利を収めるために辿り付いた方法が「情熱」でした。

まさに、当時の自分の鏡映しのような自伝で、僕の人生を変えたと行っても過言ではないと思います。

博士進学を迷っている方へ

僕は博士過程に進学したことで後悔は全くしていません。

むしろ、進学して良かったと思うことだらけです。運も良く、友人や先生方、機会に恵まれました。

この記事で書いたように、博士課程進学にはリスクもつきまといます。それを良く理解し、よく考えた上で決断してください。自分で決めましょう。それが後悔しないために最も重要な事だと思います。

途中でもお話しましたが、今は就職活動を終え、博士過程修了後は食品メーカーの研究職に就くことになっています。

この決断は博士課程の3年間で大きく僕の考え方が変わった結果です。

博士課程進学を決めたときは、情熱に全振りの僕でしたが、今回の就職の決断に関しては、論理と情熱のバランスが非常に良く取れたな、と感じています。

企業就職を決めたことに関しては今はとても満足しています。

就職のお話の詳細は執筆中ですので、しばらくお待ちください。

さて、長くなりましたが、僕が「迷いに迷って博士課程に進学した理由」は以上になります。

少しでも、僕と同じように迷いを持った人が、自分で決断できる助けになれば幸いです。

追記 2020年5月3日

記事を公開後に、有り難いことにいくつかご質問を頂きました。

研究がしたい情熱が決め手となって博士課程に進まれたとのことでしたが、それは当時の研究テーマを継続して研究したかったということでしょうか?企業研究職で行われる研究とは意味合いが違うのでしょうか?

まず一つ目のご質問「当時の研究テーマを継続して研究したかったのか?」に関してです。

結論からお話すると、当時のテーマを継続して研究はしていましたが、そのテーマがやりたかったかと言われると答えはノーです。

僕が好きだったのは論文を読んで知識を蓄え、そこから新しい関係性や課題を見つけ、仮説を立て、取り組む、という「研究における行為そのもの」でした。

当時の研究テーマの派生も含めて研究室を変えずに継続したのは、あくまで博士課程を修了する上で一番のリスクであるそもそも「卒業できない」という事態を避けるためです。

これまでにそのテーマで纏まった成果が出ており、そこからの派生でいくつか面白い研究テーマ、かつ結果が得られる見込みが高いテーマが自分の頭の中にありました。

凄くチャレンジングなテーマに挑戦するのは面白いことですが、まずは博士過程を確実に卒業出来るようなリスク管理が出来た上で、余裕を持って挑戦する、というのが僕の考えでした。

実際、今は業績面での卒業要件は完全に満たしており、気持ちに余裕を持って普通はちょっと挑戦しにくいようなテーマに取り組んでいます。

加えて、研究室の環境は素晴らしく、先生との信頼関係も築けていたため、基本的に僕が挑戦したいことは出来る状況でした。

そんな環境の中で新しくやってみたいこともたくさんあり、そうしたことにも自由に挑戦できると思ったことも大きな要因になります。

企業研究職で行われる研究とは意味合いが違うのでしょうか?

先ほどの質問に続いていたのがこちらの質問です。

大学で行う研究は、企業での研究と大きく異なると考えています。

もちろん分野や研究室の特性、企業ごとに異なるとは思いますが、僕が持っていたイメージは以下のような感じです。

大学:好奇心に基づいた研究。面白ければ良い。論文になれば良い。

企業:最終的にビジネスに繋げる必要がある

僕は当時、全くビジネスに興味がありませんでした。

とにかく「研究が面白い」という好奇心が原動力だったため、こうしたイメージの企業の研究にはあまり興味を惹かれませんでした。

この記事で繰り返しお話した「情熱」と「論理」の観点からお話すると、大学では「情熱」で動き、企業では「論理」で動く、といったイメージです。

今思うと、情熱を持った上で論理展開をする、という事が出来るのが理想ですが、当時はそれが出来ませんでした。

この辺の企業と大学の違いに関するお話は博士課程の学生が「企業就職」をする上で非常に重要な部分なので、また別の記事で書く予定です。

それでは、またご質問があれば、随時追記していきますね。

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