こんにちは、みのん (@min0nmin0n) です。
この記事では、博士後期課程で研究をする中で感じた、
① 休むことの大切さ
② 具体的にどのように休みを取るかの方法
の2点について自戒も込めてお話します。
この記事の内容:休息の重要性。休息を効率的に・意識的に取る方法
この記事が役に立つ人:休むことに抵抗がある方、上手く休めない方
この記事は、自分で仕事量をコントロールでき、ある程度裁量権が持っている方向けの内容です。
多くの人は休みを欲しがっている
以前、休息に関連してこのようなツイートをしたら驚くほどの反響がありました。
普段はこのようにたくさん拡散されると否定的なコメントも見られるのですが、
このツイートに関しては肯定的な意見や、過去の自分の休息の足りなさに関する懺悔のような反応が大半でした。
実際に引用RTなどで目にしたコメントは以下のようなものです。
・たくさん寝るようにしてから調子がいい
・休息を取るために基準を作ることが重要だよね
・仕事 (保育士、小説家、漫画家、弁護士、大学の先生など幅広い職業の方がコメントしてくれました)や勉強にも同じことが当てはまる
・過去の自分に言い聞かせたい
・自分はこれを守らずに体調を崩した
・「頑張って」休むことが大切
特に印象的だったのは、最後に載せた
「”頑張って”休むことが大切」
という意見です。
この意見には本当に同意します。
仕事の効率を上げるためにたくさんの工夫・努力をするように、休むことにも工夫や努力が必要です。
休むことに抵抗があった大学院生時代
今でこそ毎週しっかり休んでいると偉そうなことを言っていますが、
以前はとにかく「休むことが苦手」でした。
実は、私は「うまく休めない人」でした。
別に、いわゆるブラック研究室に居るわけでもありません。
むしろ、作業量も自分でコントロールできますし、環境的に休みたければ自分で好きに休みを取れる超ホワイト環境にあります。
それにも関わらず、なぜ休めなかったのかのでしょうか?
大学に入り、研究を始めたころはとにかく研究が楽しくてたまりませんでした。
子どものころに外で友達と遊んでいるとあっという間に時間が過ぎていたように、
研究をしているといつの間にか一日が終わっていました。
とはいえ、休み無く毎日活動していると、いくら楽しくとも疲労は溜まるものです。
そうなると、とにかく楽しくてやっていた研究が、たまらなく嫌な物に見えた時期もありました。
このとき、「好きなことは仕事にしてはいけない」という言葉は「休息を忘れてしまうから」なのでは、と思いました。
本来、疲労を感じるのであればどこかで休息を入れるべきです。
それにも関わらず、あまり休みを取らなかったのは自分の性格にも問題がありました。
それは、「休むことに抵抗を覚える」ことです。
「休んだ分、出来る作業が減るんじゃないか」
という短期的な見方に縛られて、
- 休んだ分、効率が上がる
- 休んだ分、意欲が高まる
- 休んだ分、体調が崩れにくくなる
といった長期的な見方が出来なかったわけです。
休んではいけないという一種の脅迫観念かもしれません。
楽しくて自発的に研究をしている分には全く問題ないことだと思いますが、疲労が蓄積して嫌々行く状態になってしまっては元も子もありませんね。
なぜ「意識的」な休息が必要なのか?
「意識的」というのは「疲れたな」と感じる前に取る休息のことを意味していると思ってください。
なぜこれが重要なのでしょうか?
肉体的な疲労に比べてメンタルの不調には気づきにくい
幼少のころから、両親が健康についての大切さをいつも説いてくれました。
そのおかげか、昔から自分が健康体で居られることにすごく幸せを感じる性格でした。
例えば、
風邪っぽく鼻が詰まって息がしづらい
筋肉痛で足を自由に動かしづらい
こうした些細なイベントがあるたびに
「健康体で何の不自由がない普段の状態がいかに幸せか」
ということを実感していました。
この考え方が小学生の頃からもの凄く強く、普段から体調管理をもの凄く重視していました。
ですが、これらの例は、あくまで肉体的な不調です。
これがメンタルの不調になると途端に気づきにくくなります。
おそらく、多くの方は自分が思っているよりも疲れています。
だからこそ、こうした自覚しづらい症状を予防するためにも「意識的な休息」が必要になります。
目に見えない症状はわかりづらいものです
疲労は「楽しさ」を「義務感」に変えてしまう
自分の経験上、ここでいうメンタルへの影響は、
「意欲の低下」に与える影響が大きいと思っています。
研究が楽しいと思うのは余裕があるからこそであって、疲労が溜まってくるとあれだけ楽しかったものでも嫌な作業に見えてきます。
疲労が溜まると効率が落ちる事も問題だけど、「義務感が意欲を上回る」ことも問題かなと。意欲が勝っている内は楽しく作業できるけど、疲労が溜まると義務感が勝りストレスになるので、義務感が意欲を上回る直前に休むのがポイント。この見極めは難しいけど自分の場合は週1休息がちょうど良かった
つまり、適度に休息をしないと、意欲がどんどん失われていきます。
この状態でする仕事は、例えば自分が大好きな研究でも辛いものでした。
楽しくてやっている場合に比べて、義務的にやる作業はとても辛いです。
こうしたメンタルに与える影響が結果的に効率の低下にも繋がります。
疲労は余裕を奪い、周りが見えなくなる
もう一つ、メンタルに与える重大な影響が余裕を奪ってしまうことです。
こうした余裕の低下は人柄にも影響を与えます。
余裕が無くなると、些細なことでイライラします。
私は自分でもかなり穏やかな方だと思いますが、何かイライラするな、と思うときは大抵疲れています。
だからこそ、「自分の機嫌を取るため」に休むことが大切になります。
これはチームで作業をしている時は周りにも影響を与える可能性があります。
・直接暴言を吐かれた人は、処理能力が61%、創造性58%落ちる。
・自分の属しているグループに暴言を吐かれた人は、処理能力が33%、創造性39%落ちる。
・他人が暴言を吐かれるのを目撃しただけでも、処理能力が25%、創造性45%落ちる。
多少なりともイライラしている雰囲気を後輩達が感じ取ればそれだけでも精神的には大きな負担になります。
周りに迷惑をかけないための頑張りが、結果的に周りに悪影響を与える、なんてことにもなりかねません。
頑張れば頑張るほど、新たな仕事が増える
頑張ることは自分にとって当たり前でした。
というより、頑張っているという意識すらなかったと思います。
ただただ、楽しくて目の前の課題に取り組んでいた気がします。
次第に勉強を続けることで、見えてくる物が増えてきました。
それと同時に、自分が知らないことが膨大にあることにも気づき始めました。
研究では、目の前の課題を一つ解決したと思ったら、新たな課題が見つかります。
そうなる度に「やらねば」と思う課題はどんどん増えていきます。
つまり、本当の意味での終わりはありません。
「仕事を頑張れば頑張るほど、新たな仕事が生まれる」
という一見矛盾する現象が起こります。
これに気がついた時、
「きちんと基準を決めて適度に休まないと、メンタルも体もボロボロになってしまうな」
と思いました。
これは私が博士課程で研究をしていて至った考え方です。
怠ける、という意味ではありませんよ。
あくまで「適度な頑張り方を身につけましょう」という意味です。
頑張りすぎて疲労が溜まると、楽しいからやっていた作業が、やらなくてはならない苦しい作業に変わり果ててしまいます。
博士課程で研究をする上でこれは大きな問題だと思いました。
頑張りすぎた先にある体調不良は看過できない
もちろん、成果を出すには時間を掛ければ出せるものもあるでしょう。
ただしそれは、
「その効率で無限に作業が出来れば」
という条件つきです。
我々はロボットではありません。
果たして本当に長時間作業をすれば成果は出せるのでしょうか?
ただ単に効率が落ちるだけなら、圧倒的な量で効率の低下を上回ることで圧倒的に成果が出せるかもしれません。
ですが、仮に取り返しのつかないくらい重い体調不良に陥ったらどうでしょうか?
例えば、1ヶ月入院することになったとしましょう。
それどころか、仕事を続けられないほどに精神や体調を崩してしまったら?
こういうことって頭ではわかっていても、「意識的な休息」をするのって難しいんですよね。
頭のどこかで、「自分は大丈夫」
と自分の体を過信して頑張りすぎいたように思います。
休息の重要性に気がつくだけで休めるなら誰も苦労はしない
とはいえ、今までも休もうと思えばいくらでも休める環境でした。
それにも関わらず、休みを上手く取れなかったのですから、何らかの対策をする必要がありました。
子供のころ外で遊び回っているときは時間があっという間に過ぎていきましたよね。
その感覚で、研究に関することになると時間を忘れて作業が出来ました。
ただし、子供のころであれば「夜暗くなったら帰る」など比較的わかりやすい基準がありました。
ところが研究にはそのわかりやすい基準がありません。
だからこそ、自分で「意識的」に休息を取る必要があります。
私が休むことに抵抗を感じていた5つの理由
そこで対策を練るために、まずは自分が休みを取ることに抵抗がある理由を具体的に考えてみました。
土日がある前提で作業をしていた
研究が楽しくて土日も関係なく研究室に通っていたせいか、平日に終わりそうもない作業があっても
「土日があるから大丈夫」
という思考になっていました。
「土日も作業をするのが当たり前」という感覚になり、
「作業するのが当たり前の日に休んではいけない」
という一種の脅迫観念に縛られていたのだと思います。
イレギュラーな作業が入ることで予定が狂い、土日で辻褄合わせをしていた
自分が計画した仕事以外にも、イレギュラーな作業が降ってきますよね。
土日も作業する前提で考えていた私は、そうしたタスクが入ることで狂った予定全て土日にまわしてやりくりしていました。
こんなことをしていれば土日に休む時間が無いのも当たり前でした
自分に期待しすぎていた
1日にやることを設定しても、大抵はイレギュラーな作業が入ることで元々予定していたタスクを消化できないことが良く起こりました。
こうした時に、「なぜもっと出来ないんだろう」
と考えることが多く、結果として消化不良になることがしばしばありました。
こうした気持ちが積み重なると、仕事量としてはそれなりの量になっているはずでも、
心理的には「何も進まなかった」かのような気持ちになることがありました。
精神的にネガティブになるとなんとなく作業にも身が入らなくなるので、作業効率にも影響します。
今考えると、そもそもやろうとしていることが多すぎたんですよね。
つまり、自分の力を過信していたわけです。
自分には期待しないくらいがちょうどいいのかもしれません
早く成果を出さねば、という焦りの気持ちがあった
博士課程に入った直後まで筆頭論文を持っていなかったこともあり、成果をだすことに焦っていたと思います。
いくら努力をしようが、周りがその努力を評価してくれようが、
「最終的に”自分”が納得するかどうか」が重要でした。
自分が納得するには目に見える成果があることが大切でしたが、当時はそうした成果があまりありませんでした。
これが結果的に、自分への過度な期待につながっていたのかもしれません
休むだけで過ごすには土日が長すぎた
このときの自分は、休むと言えば「家でゴロゴロすること」だと思い込んでいたわけです。
そうなると「休もう」と思って家にいても、半日もすれば飽きてしまうんですよね。
今思うと本当に真面目すぎるな・・・と思うんですが、本当に自分は休み方が下手でした。
とにかく休み方が中途半端でした。
そもそも、「休み」が「研究」かの2択でしか考えて居ない点で頭が固すぎました。
そのくらい研究が好きだったともいえますが・・・笑
「意識的」な休息作りのためにやった7つのこと
結論からいうと、土日の両方とも休むのは自分にはあまり向いていなかったので、週1で休みを取ることになりました。
それでも、休息期間を作ることで満足度は非常に高くなりました。
以前は休むこと自体に大きな抵抗があったことを考えると大きな進歩です。
他人のために過度に頑張ることを辞めた
相手のためと思って頼まれたことを全てこなしていると、疲労が溜まり、逆に迷惑が掛かることもあります。
この頃の自分は他人に頼られることで「自分は頼りがいのある人間なんだ」と自尊心を満たしていたのかもしれません。
徐々に疲労が溜まり、疲れ果てたときに「なんで自分はこんなに頑張っているんだろう」
とふと思ったときに書店でふとベストセラーになっていた「嫌われる勇気」という本に自分の考えを改めさせられました。
この本で述べられている「他人の人生を生きるな」という強いメッセージは自分の人格形成における根幹になりつつあります。
この本に勇気をもらって以来、周りに流されず、依頼があっても余裕がないときはしっかり断れるようにになりました。
精神的に疲れたな、と思ったときにも、この本を読み返すともの凄く気持ちがすっきりします。
以下のツイートも「嫌われる勇気」の内容から着想を得たものです。
人生における考え方としても必読ですので、ぜひ一度手に取って見ることをおすすめします。
土日も「午前中」に作業をしてから休息を取るようにした
「週に1回は研究を離れる時間を作る」
と言っていますが、「午前中」は作業をするようにしてみました。
そもそも、自分が休むことに罪悪感を感じていたのは、「何もしていない」という気持ちが生まれるからでした。
だったら、「何かした上で休めばいいのでは?」という身も蓋もないことを思いつきました。
具体的には、いつもは土日も関係なく朝から夜まで研究をしていたところを、
土日は午前中だけ研究に関することをして、後は研究以外の好きなことをする、ということを試してみました。
これが効果てきめんでした。
元々、研究は大好きなわけですし、自分には週末2日全てを休むのは長すぎました。
その点、土日も午前中だけは何か作業するつもりでいると、朝しっかり起きますし、午後はきっちり休めるので生活リズムも保ったまま、精神的にも安心して休みを取れるようになりました。
週末にまとめてではなく毎日こまめに休むようにした
土日のどちらかを一日中休むつもりでいると、前日の夜に夜更かしをしたり、昼近くまで寝続けたりしてしまうことが良くありました。
こうして夜に好きなことをしたり、たくさん寝ること自体は悪いことではありません。
ですが、生活リズムが大きく狂うことが大きな問題になります。
土日でこういったリズムを乱すようなことをすると、平日にも影響が出ます。
すると、平日の作業もうまく行かず、さらに落ち込む、という悪循環に陥ってしまいます。
朝から夜まで研究、家はご飯食べてお風呂入って寝るだけの場所、みたいな生活、研究はめちゃくちゃ進みますが、たまに週末疲れ果て、寝過ぎて生活リズムが崩れる、みたいなことがあったので、毎日コツコツ休むようにしました。休息時間は変わりませんが効率も上がり、精神的にも肉体的にも安定します
週末の寝だめに関しても、下記のようにネガティブな影響があることも報告があります。
睡眠時間を5時間に制限された人は9時間たっぷり寝た人に比べて3日間でインスリン感受性が低下&摂取カロリーが500kcalも増えるとのこと。しかも、週末に寝だめしても意味なしとの結果。
毎日きっちり一定のリズムで睡眠を取ることが大切です。
ちなみに、具体的にどのように過ごしているかTwitterでご質問頂いたので書いておきますね。
週末(土日)
・午前は研究関連かブログ執筆
・午後で家事、買い物、一週間分の料理
1週間分の料理は基本的に夜用です。朝はそれほど食べませんし、昼は学食で済ませています。
自炊をして食事には気を遣っていますが、頑張りすぎると疲れるのでこのくらいにしています。
たまに友人達と食事・飲み会、旅行にいったり、ランニング、フットサルなどしたりもします。1日中ゴロゴロして休むこともありましたが、なんとなく気分が落ち込む気がするので、一日に一度は必ず外出するようにしています。
平日
・平日はだいたい9-19時で研究室にいます。たまに20時くらいになることもありますが、お腹が空いて作業にならないので帰ります。
・疲れた日はコアタイムもなく自由なので帳尻合わせで18時とかに帰ることもあります(月1くらい?)
・帰宅したらすぐにご飯を食べます。基本的に週末に作り置きしてあるので温めるだけです。
・帰ったら、20時半ー21時くらいまでは英語勉強したり、論文読んだり、ブログ書いています。
・それ以降はとにかくダラダラします。この時間がもの凄く大切だと思っています。毎日1時間くらい確保しておくと、週末まで元気よく作業できます。
・ダラダラする時はYouTube見たり、読書、ゲームが中心です。
・基本的に23-24時には就寝して、8時間は睡眠時間を確保しています。
平均的にはこんな感じです。たまにもの凄く忙しい時期だと多少変化ありますが、一度頑張りすぎて蓄積した疲労はなかなか回復しないので、可能な限り守るようにしています。
15分の昼寝(コーヒーナップ)を習慣にした
昼寝自体は高校生のころから続けている習慣でした。
これをコーヒーを飲んだあとに昼寝をするコーヒーナップにしたら、更に効果が上がりました。
カフェインが効いてくるのは摂取後15分くらいからなので、睡眠を妨げず、寝起きもすっきりします。
毎日の習慣になっている「15分の昼寝」 コーヒーナップにしたら更に効果が上がりました。コーヒー好きの方はぜひ。 長く寝過ぎると夜寝れなくなったりと逆効果なので、15分程度がおすすめです。軽度の睡眠不足や眠気による集中力の低下であればほぼ8割方解決できますよ。
タスク管理方法を改めた
単純ですが、「作業効率化」を図りました。
以前から、作業効率化を図るために試行錯誤はしていましたが、休息を如何に取るかを考えて居た時期が一番作業効率化について考えたと思います。
結論から言うと、「Trello」と呼ばれるタスク管理アプリの使い方を工夫することで作業効率を劇的に上げることが出来ました。
Trelloはスマホ・タブレット・PCに関わらずどこでも無料で使えるタスク管理アプリです。
Googleカレンダーとも同期することで〆切管理にも使えます。
実際の操作性はこんな感じです。
「Trelloを使った作業効率化」の具体的な方法は記事にしていますのでぜひご覧になってください。
1日の作業量を目標の6割に設定した
どんなに作業を効率化できても、作業量が多すぎればいずれキャパオーバーになります。
そのため、思いついた1日の目標作業量を「意図的」に減らすようにしてみました。
1日の作業量は全力の6割に設定する。大抵は自分の能力を過大評価しているので、実際は8割ほどの作業量になる。残りはイレギュラー対策。ピンと張り詰めた糸が切れやすいように、常に10割の力で作業しているとすぐにキャパオーバーになる。心の余裕を保つためにも常に「遊び」を持たせておくのは大切
最優先で削減する対象になったのは、「自分にしか影響しない作業」です。
例えば、
英語の勉強を1時間やっていたところを30分に減らす
論文執筆を午前中全て使っていたところを1時間に限定する
といった作業時間です。
この方法だと、目標が低くなって作業スピードが落ちるのでは?
と思うかもしれません。
私も最初はそう思いました。
実際にやってみればわかりますが、最初に立てた目標が終わってもまだ余裕があるのであれば追加で作業すればいいだけなので、影響はありませんでした。
むしろ、余裕を持ってタスクを達成できるようになったので、
「今日も目標を達成できなかった・・・」
と落ち込むことがなくなり、「自信」がつくようになりました。
同時に、今までが「異常」だったことにも気がつきました。
自分がやりたくて仕方ないために毎日毎日、土日も関係なく作業するのであれば全く問題ありません。
ですが、疲れて仕方ないのに関わらず義務的に作業するのはあまり好ましい状態とはいえませんよね。
「好奇心」に負けずにわかりやすい結果を出すことに集中した
性格上、いつも「何か面白そう」という好奇心から、本テーマとは無関係の論文探しを始めてしまうことがあります。
こうした好奇心自体は悪いことではありませんが、博士課程に居る以上、論文を出さなければいけません。
好奇心から始まる論文探しは知識も増えますし、悪いことではないですが、実質上、本テーマの論文を書くためのデータにはなりづらいです。
また、本テーマの多くはボスから与えられたものでしょうから、それを放置しておくのはボスの信頼を失うことにもなりかねません。
また、「目に見える結果」として残りづらいため、焦りの要因にもなります。
こうした「焦りの蓄積」が休む事への抵抗を生んでいたのかもしれません。
これに気づいてからは、とにかくまずは「本テーマで論文を書く」というを最優先事項を設定して集中するようになりました。
ちなみに、この「やるべきこと」に集中する仕組み作りに役立ったのも先ほど紹介した「Trello」です。
こうした「やるべきこと」は意欲的には取り組みづらい作業ですが、きっちりやっておくことで心理的な安心感は生まれます。
これが功を奏したのか、だんだんと安心して休息も取れるようになってきました。
こうして休息を定期的に取れるようになったことで、更に良いことがありました。
なんと、「やりたいこと」を我慢して「やるべきこと」に集中したら、結果的に「やりたいこと」に取り組めるチャンスが増えるようになりました。
どういうことか簡単に説明します。
私はコーヒーが好きなので、そういう研究したら面白そうだなとは思っていました。
コーヒー好きすぎてコーヒーの研究したいなって思って考えてみたら今の研究ともリンクできそうだし、「本当に出来ちゃうのでは」と冗談半分のつもりで何個かアイデア持って教授に伝えたら すんなり「やったら?」って言われて 「正気か?うちの教授」と思ったし、「神か?うちの教授」となっている。
何気なく教授にそのことを話してみたら案外乗り気だったんですよね。
ラボでの「やるべきこと」は自分が一番やりたいことではないかもしれませんが、教授からするとやって欲しいことであることが多いです。
その「やるべきこと」に集中したおかげか、教授からの信頼も上がり、結果的に「自分がやりたいこと」を出来るようになったのかもしれません。
自分がやりたいことを好き勝手やるのも悪くはないですが、それだけでは信頼も得にくいです。
休息の話からは少し外れますが、今回の経験からも「やるべきこと」を続けることが結果的に「やりたいこと」をやることにつながるのだと感じました。
環境的に休みたくても休めないという人へ
最後に、「休みなんて取れない」という場合の話を少しだけします。
このツイートに関して、一部では以下の様なコメントもありました。
恵まれた環境に居るから休めるだけ
これは、確かに正論だと思います。
この記事で紹介している方法は、誰にでもすぐに出来る方法ではないかもしれません。
いわゆるブラック研究室など、
休みたくても休むことができない、
という方は環境的にもの凄く厳しい状況にあると思います。
ですが、それを言い訳にして何も行動しないというのは非常にもったいないと思います。
『人間が変わる方法は3つしかない。
1番目は時間配分を考える。
2番目は住む場所を変える。
3番目は付き合う人を変える。
この3つの要素でしか人間は変わらない。
もっとも無意味なのは
「決意を新たにする」ことだ』
(『大前研一洞察力の原点』)
休みたくても休めない、という方の多くはシステム的な問題であったり、人間関係で周りの目を気にして休めない、というパターンが多いのではないでしょうか。
それは「自分の体調を崩してまで」優先すべきことでしょうか?
周りの人を変えるのは不可能に近いことですが、自分を変えるために行動することはできます。
この記事の内容を全く同じように当てはめることは難しいかもしれませんが、休息のあり方を考え直す契機にして、行動してみるといいかもしれません。
何を幸せと感じるかは人それぞれ
有名な落合陽一先生 (@ochyai) は日々の睡眠をとにかく削って、圧倒的な作業量を実現させていることで有名ですね。
「無理矢理やらされている」のであれば大きな問題ですが、
落合先生の場合は「望んでやっている」という点が重要です。
これと同じ事が自分にもできるか?
と言われれば絶対に無理です。
私は何かしら結果を出すことに幸せは感じます。
ですが、睡眠を削り、健康を損ねる可能性を上げてまで成果を挙げたいか、と言われると違う気がします。
もちろん落合先生を批判するつもりは全くありません。
何に幸せを感じるかは人それぞれです。
私は、心身ともに健康であるからこそ研究は楽しく、プライベートの時間も楽しめます。
だからこそ、こうした休息の取り方を重要視しています。
進捗おばけになっていないか
自分の人生で一番大切なのは、その仕事を早く終わらせることでしょうか?
それは、体調を崩してまで優先すべきことですか?
一度冷静になって考えたときに、少しでもYESと答えるのに躊躇うのであれば、休息のあり方について考え直したほうがいいかもしれません。
仕事を終わらせる努力をするのと同じように、「休息を取るための努力」をしてみても良いかもしれません。
この記事が少しでも自分の休息のあり方を考え直す機会に役立てば幸いです!
休息を取る上で参考になるおすすめ書籍をまとめておきます
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